設立の経緯
協和発酵工業株式会社の創立者であり社長を長年務めた 加藤辨三郎は、「バイオサイエンスとテクノロジーの進歩を通して企業活動を発展させるとともに科学技術の振興を図り、社会の発展と人類の福祉に貢献する」ことを同社の経営理念としていた。
昭和50年代に入り、当時会長であった加藤は、米国を中心に急激に発展してきた遺伝子組換えという革命的な科学技術の進歩に対応するため、新研究所の設立を命じた。昭和58年10月この研究所は完成したが、加藤は完成目前の8月に急逝してしまった。そこで新研究所は、加藤記念バイオサイエンス研究所と命名され、加藤の遺志を引き継ぎ運営されることとなった。
新研究所の活動は、バイオサイエンスのシンクタンクとして先導的研究を実施するとともに、長期重点研究領域・新規研究企画の提言、大学や外部研究機関との情報ネットワークの構築、科学分野に関する公開シンポジウムの開催、研究奨学金制度及び海外学会参加助成制度の導入による若手研究者の育成などを活動の柱として、多くの外部専門家の協力を仰ぎながら展開された。
昭和63年(1988年)、会社は加藤記念バイオサイエンス研究所の活動をより広い立場から継続していくため、会社創立40 周年記念事業の一環として「財団法人加藤記念バイオサイエンス研究振興財団」を設立し、公益的事業については発展的に同財団に移管することを決定した。
同年12月12日に内閣総理大臣に設立許可申請を行い、12月23日に設立許可が下り、財団法人加藤記念バイオサイエンス研究振興財団が発足した。
毎年開催される加藤記念研究助成贈呈式では、加藤辨三郎揮毫による「生かされている」の記念盾が各受賞者に贈呈されている。
加藤辨三郎氏 略歴
- 明治32年(1899)
- 島根県に生まれる
- 大正12年(1923)
- 京都帝国大学工学部卒業
四方合名会社(現 宝酒造)入社 - 昭和5年(1930)
- 工学博士学位取得
- 昭和12年(1937)
- 協和化学研究所長
- 昭和18年(1943)
- 東亜化学興業(株)常務取締役
- 昭和20年(1945)
- 協和産業(株)取締役社長
- 昭和24年(1949)
- 協和発酵工業(株)設立 取締役社長
- 昭和27年(1952)
- (社)在家仏教協会設立 会長
- 昭和37年(1962)
- 藍綬褒章受章
- 昭和43年(1968)
- 協和発酵工業(株)取締役会長
- 昭和46年(1971)
- 特許庁工業所有権審議会委員
- 昭和47年(1972)
- 勲一等瑞宝章受章
- 昭和48年(1973)
- 科学技術会議ライフサイエンス部会委員
- 昭和49年(1974)
- 通産省化学品審議会会長
- 昭和50年(1975)
- 科学技術庁顧問
- 昭和57年(1982)
- 日本特許情報センター会長
- 昭和58年(1983)
- 8月15日永眠(84歳)従三位に叙せられる